ビートルズを超えるのはビートルズ…2ndアルバム「ウィズ・ザ・ビートルズ」

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

今日の夢中は、ビートルズを超えるのはビートルズ…2ndアルバム「ウィズ・ザ・ビートルズ」です。
「夢中図書館 音楽館」は、ロックの名盤や新譜、個人的な愛聴盤などをレビューする音楽ブログです。あなたのお気に入りの音楽を見つけてください。

■今日は何の日

1日1頁、その日に起きた出来事やミュージシャンの誕生日などが記載されているタワレコ手帳(現在は製造中止…)。
11月9日の頁には、こんな出来事が記されていました。

ビートルズ、後にマネージャーとなるブランアン・エプスタインとキャヴァーン・クラブで初対面(1961)

ブライアン・エプスタイン(Brian Epstein)。
英リヴァプール出身のビジネスマン。ビートルズのマネージャーとしてよく知られる人物です。


ビートルズをつくった男 ブライアン・エプスタイン(新潮文庫)

エプスタインとビートルズの出会いは、ビートルズがリヴァプールのキャヴァーン・クラブで演奏していた1961年に遡ります。
ビートルズは当時、クラブでの演奏を通じて地元の評判を高めていましたが、まだ全国的な知名度はありませんでした。

1961年11月9日、エプスタインは友人の紹介でキャヴァーン・クラブを訪れ、ビートルズの演奏を初めて聴きます
彼はすぐさま演奏に魅了され、特にその音楽性とステージでの魅力に感銘を受けました。そしてビートルズを全国的なスターダムに導くことを決意、バンドとマネジメント契約を結びました。

ビートルズのキャリアにおけるエプスタインの貢献ははかり知れません。
彼はビートルズの外見やスタイルを変え、全国的なライブツアーをマネージするなど、彼らの音楽を知らしめるために尽力しました。


ビートルズアンソロジー vol.1

特に、ジーンズと皮ジャケットという服装をスーツとネクタイに変え、ステージ上での喫煙をやめさせ演奏の終わりに一礼させるなど、一般受けするようにしたエピソードは有名です。
後に世界的なスーパーバンドに駆け上がるビートルズですが、その活躍の影にはエプスタインの献身的な働きがありました。

ビートルズの成功を支えたエプスタインですが、残念ながらバンドの活躍を最後まで見届けることはできませんでした。
1967年年8月27日にロンドンの自宅で死去。死因は、薬物の過剰摂取による事故死とされています。

エプスタインの死は、ビートルズに大きな影響を与えました。その死後、バンドは経営の問題に直面し、バンドの結束も次第に弱まっていきました。
やがてビートルズは解散に向かうことになります。ビートルズにとってエプスタインとの出会い、そして死は、バンド活動の重要な転換点となったのです。

■ウィズ・ザ・ビートルズ

ほんと、エプスタインの死は大きかった…。彼がいたら、バンドの解散もなかったのではと思っちゃいます。
少なくとも、ポール(・マッカートニー)が他メンバーの批判を一身に背負うというような末期にはならなかったのではないかと推察します。

今日は、そんなエプスタインが存命していた頃のビートルズのアルバムを取り上げましょう。
特に彼の手腕が発揮されたのは初期の頃です。以前、当ブログで1stアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」を紹介したので、今日は2ndアルバムを取り上げます。

ビートルズの2ndアルバム。そのタイトルは「ウィズ・ザ・ビートルズ」(With the Beatles)です。
1stアルバムで一躍スターダムにのし上がったビートルズですが、そのリリースからわずか4か月後に次のアルバムを制作するためにスタジオに戻ります。


ウィズ・ザ・ビートルズ(LP盤)

当時、エプスタインとプロデューサーのジョージ・マーティンは毎年2枚のLPと4枚のシングルをリリースすることを計画していました。
ハード・スケジュールですね…。しかもこの時期、バンドはその人気過熱から、ラジオ、テレビ、さらにライブ活動と超多忙な日々を送っていました。

そんな中をエプスタインがやり繰りしたのでしょう…。バンドは3か月にわたり7回のセッションを行って楽曲を録音しました。
ちなみに、同セッションでシングル「抱きしめたい」(I Want To Hold Your Hand)とB面「ディス・ボーイ」(This Boy)もレコーディングされています。


The Beatles 1962-1966

これだけ短期間でこれだけの曲を送り出すとは…。バンドの創作意欲がほとばしっていた時期と言えるかもしれません。
シングルはもちろん、アルバムでもバンド自身のオリジナル曲を収録(14曲中8曲)。次のアルバム「ア・ハード・デイズ・ナイト」で全曲オリジナル曲という偉業を成し遂げるのですが、本作はその途上の作品と言えます。

アルバム「ウィズ・ザ・ビートルズ」は、リリースされると全英チャートで1位を獲得。ちなみに、それまで1位に君臨していたのは自身の1stアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」でした。
このアルバムにより、ビートルズはその人気を不動のものとします。まさにビートルズを超えるのはビートルズしかいない…そんな時代を象徴する2ndアルバム「ウィズ・ザ・ビートルズ」です。


ウィズ・ザ・ビートルズ(CD)

■個人的なおススメ

それでは、ビートルズからチャート1位の座を奪った、これまたビートルズの2ndアルバム「ウィズ・ザ・ビートルズ」から、個人的なおススメです。

まずは1曲め、「イット・ウォント・ビー・ロング」(It Won't Be Long)。
レノン=マッカートニーのオリジナル曲。このアルバムのために書き下ろされました。主にジョン・レノンが書いたものと思われます。
初期のビートルズの十八番とも言える「イエーイエー」のコールアンドレスポンスや印象的なギターリフなど、いま聴いても心ときめきます。
ジョンはこの曲が幅広い聴衆にビートルズを聴かせるきっかけになったと語っていますが、さもありなん。それだけ自信のある曲だったのでしょう。

続いて3曲め、「オール・マイ・ラヴィング」(All My Loving)。
レノン=マッカートニーのオリジナル曲。主にポール・マッカートニーによって書かれ、ボーカルもポール。彼の代表曲の一つです。
英国や米国ではシングルとしてリリースされていませんが、ラジオでかなりエアプレイされ人気を集めました。カナダではシングルカットされ1位を獲得しています。
ポールのメロディセンスがいかんなく発揮された作品。ジョンとポールという2大ソングライターが一緒のバンドにいるってとんでもないことです。ちなみに、本アルバムでは3人目のソングライター、ジョージ・ハリスンも初オリジナル曲を披露しています(「ドント・バザー・ミー」)。

そして14曲め、「マネー」(Money(That's What I Want))。
米歌手バレット・ストロングのR&B曲のカバー。この曲を含め、アルバムのカバー曲ほとんどがR&Bかモータウンとなっています。
そんなカバー曲の1つ「マネー」ですが、もうビートルズの曲と言ってもいいくらいバンドにハマっています。特にジョンのボーカルが、鳥肌が立つくらいカッコいい…。
1stアルバムも締めは「ツイスト・アンド・シャウト」でした。2ndアルバムも「マネー」のジョンのシャウトで締め。ライブのような昂揚感を味わえるアルバムのラストです。


すばらしいアルバムですね。まさにビートルズ伝説へ道を拓いたアルバム「ウィズ・ザ・ビートルズ」
そんな伝説を支えたのが、ビートルズのマネージャーを務めたブライアン・エプスタインです。

ポールはBBCの番組で、エプスタインの重要性について「もし誰かが5人目のビートルズだとすれば、それはブライアンだった」と述べています。
ジョンもローリングストーン誌のインタビューで、「エプスタインの死がグループの終焉の始まりだった」とコメントしています。

あらためて、ブライアン・エプスタインの存在の大きさを知れますね…。ありがとう、ブライアン、ビートルズを世に送り出してくれて。
今日(11月9日)は、そんなブライアン・エプスタインがビートルズと初めて出会った日。ここからビートルズの伝説は始まりました。取り上げたのは、ビートルズの人気を不動なものにした2ndアルバム「ウィズ・ザ・ビートルズ」でした。

ありがとう、ビートルズ! ありがとう、ブライアン・エプスタイン!

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