こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
今日の夢中は、Back to the 80s!米ラップ・バンド、ビースティ・ボーイズの「ファイト・フォー・ユア・ライト」を取り上げます。
■今日は何の日
いつも愛用しているタワレコ手帳。
1日1頁、その日に起きた出来事やミュージシャンの誕生日などが記載されています。
3月7日のページに、こんな出来事が記されていました。
3月7日 【出来事】ビースティ・ボーイズ、初アルバム「Licensed To Ill」がラップ・アルバムとして初めて全米チャート1位を獲得(1987)
ビースティ・ボーイズ!懐かしいなぁ。
今に続く、白人ラップの元祖といってもいい、音楽シーンの革命児。
3月7日は、そんな彼らのデビューアルバム「Licensed To Ill」が全米1位を獲得した記念すべき日。1987年のことでした。
Back to the 80s!今日は、ビースティ・ボーイズの代表曲「ファイト・フォー・ユア・ライト」を取り上げます。
■ビースティ・ボーイズ
ビースティ・ボーイズ。
結成は1979年。当初は「ザ・ヤング・アンド・ザ・ユースレス」というパンクバンドでしたが、1981年に「ビースティ・ボーイズ」に改名。
さらに、音楽もヒップホップの影響を受けて、独創的なものに変わっていきます。
それは、ヒップホップとパンクロックとの融合。
同時期にヒップホップ・グループのRun-D.M.C.が、ラップをロックに持ち込みました。
一方、ビースティ・ボーイズは、ロックの側からラップに大胆にアプローチ。今に続く白人ラップというジャンルを開拓しました。
そのチャレンジングな1枚が、彼らのデビューアルバム「Licensed To Ill」です。
1986年にリリースされると若者らの強烈な支持を集め、1987年にラップ・アルバムとしては初の全米1位を獲得しました。
■ファイト・フォー・ユア・ライト
その勢いをけん引したのが、シングル「ファイト・フォー・ユア・ライト」でした。
原題は「(You Gotta) Fight for Your Right (to Party!)」。直訳すると「パーティする権利を獲得するために戦え!」。
こんな分かりやすいアジテートが、ラップと相性よくハマりました。
それでは、さっそく聴いてみましょう。
Back to the 80s!ビースティ・ボーイズ「ファイト・フォー・ユア・ライト」!
いやぁ、なんとも品格のない(苦笑)ミュージック・ビデオですね。
そもそも歌詞がそんな感じだから仕方ない…。「What's that noise?」(この騒音は何なのよ!)とかね。
実は、これも彼らの功績の一つ。
それまで社会への痛烈な批判を歌詞に乗せていたラップを、日常の不平不満を歌詞にすることで、ラップそのものを身近なものにしました。
今の日本語ラップのブームも、元をたどれば、彼らのおかげと言っていいかもしれません。
■その後
さて、そんなビースティ・ボーイズですが、この後もコンスタントにアルバムをリリース。
1994年には、4thアルバム「Ill Communication」が再び全米1位を獲得。
2012年にはロックの殿堂入りを果たします。
しかし、その後間もなく、バンドのリーダー的な存在であったMCA(本名:Adam Yauch)が死亡。
バンドは自然消滅的に活動を休止。いまに至っています。
ちなみに、MCAが亡くなったのは47歳。
残る2人(マイクDとキング・アドロック)はいま52歳。MCAの分も、長く音楽活動を続けてほしいですね。
ありがとう、ビースティ・ボーイズ! ありがとう、ファイト・フォー・ユア・ライト!