こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
今日の夢中は、ミック・ジャガーとデヴィッド・ボウイの奇跡のコラボ、「ダンシング・イン・ザ・ストリート」です。
■ダンシング・イン・ザ・ストリート
Back to the 80s!懐かしの80年代洋楽の世界へ…。
今日は、ロック界のスーパースターがデュエットしたこの曲を取り上げます。
「ダンシング・イン・ザ・ストリート」(1985年)。
ミック・ジャガーとデヴィッド・ボウイの共演です。
この奇跡のコラボが生まれるきっかけとなったのが、1985年に開催された「ライブ・エイド(LIVE AID)」。
この歴史的音楽イベントのチャリティー・シングルとして、同作はリリースされました。
もともとは、そのライブ・エイドのステージで2人は共演する予定でした。
ボウイは英ロンドン、ミックは米フィラデルフィア。海を隔てた2つのステージで同時に歌唱する姿を衛星中継する…。
そんな野心的な企画は、技術的な問題(0.5秒の音ズレ)から残念ながら見送られました。
それでも当日は、会場にミュージックビデオが流され、歴史的なイベントに花を添えました。
■奇跡のセッション
この「ダンシング・イン・ザ・ストリート」は、実は多くのアーティストにカバーされているモータウン・ソングです。
オリジナルは、1964年にリリースされた米女性コーラス・グループ「マーサ&バンデラス」のナンバー。
ソウルのレジェンド、マーヴィン・ゲイらが作曲を手掛けています。
この名曲を、マーサらが伸びやかで迫力あるボーカルで歌い上げ、全米2位を記録する大ヒットとなりました。
ミック&ボウイのバージョンは、伝説の音楽イベント「ライブ・エイド」の1か月前、1985年6月に収録が行われました。
2人は英ロンドンのアビー・ロード・スタジオに集まると、約4時間でこの名曲のカバー・テイクを録ったそうです。
さらに、スタジオでの収録を終えると、ロンドン東部ドックランズへ直行し、ミュージック・ビデオの撮影までこなしました。
このとき、ミック・ジャガー41歳、デヴィッド・ボウイ38歳。脂がノリにノッている時期だったんですね。キレッキレの2人の姿を見ることができます。
…ということで、早速その奇跡のコラボを聴いてみましょう、見てみましょう。
Back to the 80s!デヴィッド・ボウイ&ミック・ジャガー「ダンシング・イン・ザ・ストリート」です。
■奇跡のステージ
素晴らしいですね…。圧巻です。
ミックとボウイがモータウンの名曲を、まるで自分の歌のように自由に歌い上げています。
オリジナルにはない世界の国や地域の叫び(一番最初は「Tokyo」!)や「Back in the USSR」などのアレンジも。
何よりも最高なのは、2人の持ち味が存分に発揮された歌声。
ミックはホットでソウルフルに、ボウイはクールでセクシーに。奇跡のユニゾンが聴く者のハートを鷲掴みにします。
ちなみに、ライブ・エイドで実現しなかったライブ共演ですが、なんとその翌年、奇跡的に実現しています。
それは1986年9月、英ロンドンで開催されたプリンス・トラスト・コンサートでのこと。
トリを務めたポール・マッカートニーのステージの途中、ポールの紹介で、ミックとボウイがサプライズで登場。
すると、ポールやエルトン・ジョン、エリック・クラプトンらをバックに、「ダンシング・イン・ザ・ストリート」を生披露したのです。
2人のライブ共演も奇跡ですが、ポールら豪華アーティストとの共演も奇跡ですね…。
ただ、このライブは本当にサプライズだったらしく、2人の歌も演奏も即興でゴリゴリ押す感じで、曲が終わると2人はさっさと退場してしまいました。
後のライブアルバムや公式映像にも2人の姿はありません。本当に奇跡のステージになったのです。
このライブ共演から30年後、デヴィッド・ボウイが逝去(2016年)。2人の共演は二度と実現することがなくなりました…。
ミック・ジャガーはインタビューで、「ダンシング・イン・ザ・ストリート」のセッションを1日で済ませたことに触れ、「素晴らしい思い出だった」と振り返っています。
ありがとう、ミック・ジャガー&デヴィッド・ボウイ! ありがとう、「ダンシング・イン・ザ・ストリート」!