こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
今日の夢中は、フジファブリックの名曲「若者のすべて」を取り上げます。
■今日は何の日
いつも愛用しているタワレコ手帳。
1日1頁、その日に起きた出来事やミュージシャンの誕生日などが記載されています。
11月7日のページを開くと、こんな出来事が書かれていました。
11月7日 【出来事】フジファブリック、代表曲となるシングル「若者のすべて」をリリース(2007)
さすがはタワレコ手帳。こんな知られざる重大な(?)出来事を掲載するとは…。
数奇な運命をたどった日本のロックバンド「フジファブリック」。その名曲「若者のすべて」がリリースされたのが、12年前の11月7日でした。
折しも現在、フジファブリックのベスト盤「FAB LIST 1」が発売されています。
今日は、「若者のすべて」がリリースされた日を記念して、フジファブリックと同ベスト盤にも収録されている「若者のすべて」をとり上げます。
■フジファブリック
先ほど「数奇な運命」と言いましたが、バンドの運命を左右する出来事が起きたのは2009年のことでした。
バンド結成時からの中心人物、志村正彦が急逝したのです…。
志村は、バンドのボーカルとギターを担うフロントマン。しかも、ほぼすべての楽曲を、志村が作詞・作曲していました。
当時のフジファブリックは、志村のバンドと言ってもおかしくないほど、その存在感は大きなものでした。
バンドは志村という支柱を失い、解散の危機に陥ります。
それでも、残されたメンバーは、フジファブリックというバンドを継続することを決断しました。
新生フジファブリックは、メンバーの山内、加藤、金澤それぞれが作詞作曲を担当、山内がボーカルをとるスタイルでバンド活動を続けます。
そこには、フジファブリックというバンドを残したいという思い、そして志村の歌をこれからも歌い継ぐという決意がありました。
その一つの集大成ともいうべき演奏が、2019年8月に行われました。
ある音楽番組に初出演したフジファブリックは、志村の残した名曲「若者のすべて」を演奏します。
楽曲の終盤に、在りし日の志村の映像が流れます。そしてサビでは志村の歌声が…。
志村のいたフジファブリックと新生フジファブリックの共演。
志村の笑顔、志村の歌声。この映像はヤバいって…。思わず目の端を涙が伝いました。
■若者のすべて
それでは、フジファブリックの名曲「若者のすべて」を聴きましょう。
音楽番組の共演映像は権利上NGなので、彼らのオフィシャル・チャンネルから。
なんだろう、この心のやわらかいところが切なくなる感じは…。
決して壮大なラブバラードでもないし、扇動的なフレーズがあるわけでもない。
それでも、この曲が映し出す懐かしい情景に、いつも間にか私たちは引き込まれてしまいます。
「真夏のピークが去った」夏の終わり。「夕方5時のチャイム」がなった放課後。
目の前に浮かぶのは、青く切ない、少年だったあの頃の記憶。
そして、謎めいた歌詞が聴く者のイマジネーションを駆り立てます。
ないかな ないよな きっとね いないよな
こんな歌詞、志村しか書けないんじゃないかな、ないよな、きっとね、いないよな。
同じく志村のソングライティング・センスが光るサビ。
音楽番組でも、志村と山内が歌声を重ね合わせました。
すりむいたまま
僕はそっと歩き出して
最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな
最後の最後の花火が終わったら
僕らは変わるかな
同じ空を見上げているよ
山内をはじめ新生フジファブリックが思いを込めて歌い上げた「同じ空を見上げているよ」。
それはきっと天国の志村にも伝わったはず。
フジファブリック志村正彦。彼が亡くなったのは2009年のクリスマスイブ。まだ29歳でした…。
ありがとう、フジファブリック! ありがとう、若者のすべて!